沖縄(10) ひめゆりの塔 ~ 平和祈念公園
翌日は、沖縄戦の足跡をたどって、「ひめゆりの塔」(ひめゆり平和祈念資料館)を訪れました。
映画「ひめゆりの塔」に出演したことがきっかけで、ひめゆりの働きを語り継ぐ活動を続けていらっしゃる女優の香川京子さんの著書「ひめゆりたちの祈り - 沖縄のメッセージ」を読んで以来、いつか訪れたいと思っていた場所です。
ひめゆりとは、沖縄師範学校女子部(白百合)と沖縄県立第一高等女学校(乙姫)を合わせた愛称で、沖縄戦では、両校の240名の女生徒・教師が陸軍病院の看護要員として動員されました。
ここには、沖縄戦で亡くなったひめゆりたちの慰霊碑があり、奥の資料館では、生存者の方たちによる証言映像や、ひめゆり学徒隊の遺品、沖縄戦に関する資料などを見ることができました。
沖縄は、本土決戦前の最後の砦として持久戦を強いられ、最も激しい戦地となった場所です。ひめゆりたちが配属された陸軍病院は、病院とは名ばかりで、実際には40ほどの壕に簡単なベッドを取り付けただけの施設で、壕を一歩出れば、いつ弾が飛んでくるかもわからない戦場でした。
次々と搬送されてくる負傷兵たちの看護や、死体埋葬に追われるひめゆりたちは、徐々に南下してくる米軍に、日本軍とともに本島最南端へと追い詰められます。そこに突然、日本軍からの解散命令があり、武器を持たないひめゆりたちは、米軍の砲撃の中、逃げ惑うしかなく、多くの命が失われました。
ひめゆりたちは、今でいう高校生くらいの年頃でしょうか。将来に夢をふくらませ、友情をはぐくみ、毎日が楽しくてしょうがない時代。パネルで見る少女たちの天真爛漫な笑顔や、かわいらしい持ち物(遺品)を見ると、同じ女性としてなおのこと、胸がつまる思いでした。
生存者の方が語りかける、ことばのひとつひとつが心に沁みました。その中で、兵士たちは亡くなる間際に、誰もが天皇陛下ではなく、「おかあさん!」「〇〇!」と愛する人の名前を呼んだ、という話が心に残りました。
沖縄戦で亡くなった227名のひめゆりたちの遺影に、心の中で静かに手を合わせました。なお沖縄では、ひめゆりだけでなく、他にも数多くの学徒隊が組織され、学徒隊だけで1998名という尊い命が失われた、ということです。
ひめゆりの塔を訪れた後は、ここからほど近い「平和祈念公園」に立ち寄りました。
沖縄戦最後の激戦地となった場所が、公園として整備されています。(左)の広々とした芝生のエリアでは、戦没者追悼式などの式典が行われます。
(右)また、ここには、沖縄戦で亡くなった全ての軍人と民間人、約24万人の名前が刻まれた石碑があり、訪れる人の祈りの場となっています。
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コメント
以前鹿児島の知覧に行った時に、特攻隊の記念館に行きました。
ひめゆりさんたちと同じく高校生くらいの学生さんたちの写真、遺品、手紙などがたくさん展示されていましたが、私はそこにいる間涙をとめることができませんでした。
若く、希望に満ちた多くの若者が戦争の犠牲となったことは決して忘れてはいけないと思いました。
ひめゆりの塔もきっと同じようなことを感じる場所なのでしょうね。
歴史の悲しい部分には触れたくないものですが、時にはしっかりと向き合うことが必要ですよね。
投稿: olive | 2011年4月21日 (木) 12時37分
下の子たちの中学では、修学旅行で沖縄へ、平和学習のために行きます。毎年2年生の後半から、そのために準備し、この平和祈念公園で、ひめゆり学徒隊の生徒たちが卒業式で歌うはずだった「別れの曲」を歌います。彼らも歌ってきました。そして、沖縄の人たちが隠れたガマへ入ったりもします。
沖縄は、今では素晴らしい観光地となっていますが、そういう過去があったことも、日本人として知っておくべきで、とても有意義な活動だと思っています。彼らも何か感じてくれたのではと思います。
投稿: マイキー | 2011年4月21日 (木) 15時11分
ひめゆりの塔行きましたよ。
あの悲惨さは、想像を絶する物でした。
特に生存者のあのお話は、心が痛く今でもあの語り声が残っています。
絶対戦争反対!
世界の何処かでまだ戦争が、悲しい事ですね。
投稿: Rei | 2011年4月21日 (木) 21時58分
こんばんは。
こういった、戦地後へ訪れるといつも胸が痛くなる思いがします。
私でさえ、戦後10年以上たってから生まれたので、
これからは、戦争を知らない世代、もしくは生れていても記憶の
あまりない世代が圧倒的に多くなってきます。
まだ、世界的にはいつもどこかで内戦含め、戦争は絶えませんが、
いつか、きっと戦争の全くない地球がくることを祈ってやみません・・・
投稿: イザワ | 2011年4月22日 (金) 01時34分
☆ oliveさま ☆
oliveさんは、知覧の特攻隊の記念館に行かれたのですね。
未来ある若い方たちが、戦争に巻き込まれ
簡単に命を落とすということは決してあってはならない。
親として、また同じ女性として改めて思いました。
生存者の方たちの貴重なことばを
私たちが責任を持って、後世に伝えていかなければいけませんね。
投稿: ☆ oliveさま ☆ | 2011年4月22日 (金) 11時09分
☆ マイキーさま ☆
沖縄への修学旅行、平和について考え、学ぶ
とても貴重な、いい経験をされましたね。
おそらく、自分と同じくらいの年の少女たちが
戦争によって、こうした過酷な運命をたどった…と
私たち大人とはまた違った受け止め方をされたことと思います。
私はガマには入る機会はなかったのですが
資料館で、実際に病院を模したガマを見て衝撃を受けました。
こんなところで、どんなに恐ろしい思いをしただろう…と。
息子もちょうど同じ年頃ですが、何か感じ取ってもらえたら
と思います。
投稿: ☆ マイキーさま ☆ | 2011年4月22日 (金) 11時49分
☆ Reiさま ☆
ひめゆりの塔、生存者の方たちのことばの
ひとつひとつが、心に響きましたね。
生存者の方たちの貴重な証言を風化させることなく
若い世代へとつないで、平和を守っていくことが
これからの私たちの務めだと思いました。
投稿: ☆ Reiさま ☆ | 2011年4月22日 (金) 11時58分
☆ イザワさま ☆
イザワさんは、以前広島を訪れていらっしゃいましたね。
ひめゆりでは、以前は生存者の方が実際にお話をされていたそうですが
だんだんお年を召していらして、繰り返しお話することが
たいへんになってきたので、証言映像に切り替えたそうです。
これからは私たち戦争を知らない世代が
この方たちの証言を風化させないよう、
若い世代へとつないでいかなければいけませんね。
投稿: ☆ イザワさま ☆ | 2011年4月22日 (金) 12時11分