沖縄(5) 首里城
翌日は、首里城を訪れました。1429年から1879年までの約450年間、沖縄に存在した王制の国、琉球王国のお城(グスク)です。中国や朝鮮、日本、東南アジアの交通の要所という絶好のロケーションにあった琉球王国は、貿易国として栄えました。
首里城はかつて数度にわたって焼失し、その度に再建されてきました。1945年の沖縄戦で全焼した後は琉球大学が建てられましたが、大学の移転に伴い、現在の首里城が復元されました。2000年には、首里城跡が沖縄の他のグスクや遺跡とともに、世界文化遺産に登録されています。
首里城は小高い丘の上にあります。入り口から正殿まで、いくつもの門をくぐりながら緩やかな坂を登っていきました。
(左)城郭の手前にある守礼門(しゅれいもん)。櫓には「守禮之邦」(琉球は礼節を重んじる国である)と書かれています。二千円札にも描かれている首里城のシンボルです。
(右)歓会門(かんかいもん)。城壁の入り口にある門。両脇にはシーサーが鎮座しています。
階段を登ったところにある瑞泉門(ずいせんもん)。瑞泉とは「すばらしい泉」という意味で、すぐ横に龍樋(りゅうひ)とよばれる湧き水があることから名付けられています。
泡盛に「瑞泉」というお酒がありますね。余談ですが、首里城のお手洗いの蛇口は、この龍樋の形を模してありました。(笑)
(左)瑞泉門からの城壁の眺め。
(右)漏刻門(ろうこくもん)。櫓の上に水時計があることから、名付けられました。この門をくぐったところには、日時計もあります。
この後、広福門(こうふくもん)、奉神門(ほうしんもん)とくぐって…
ようやく正殿にたどりつきました。ここは、王と家族が居住する王宮であり、王国統治の行政機関の本部であり、宗教儀式の場でもありました。公式行事は、正殿前の御庭(うなー)で行われました。
中国と日本の建築様式が取り入れられているということですが、色彩の鮮やかさは中国の影響をより強く受けていると感じました。復元にあたっては、中国の紫禁城などを視察し参考にしたということです。
中も見学することができますが、ちょっと驚いたのは国王の任命を中国の皇帝が行っていたということです。(冊封(さくほう)) 廃藩置県で沖縄が日本となるまでは、どちらかというと中国との結びつきが強かったのかもしれません。
正殿の横の南殿は、木目をそのまま生かした、趣が少し違う建物です。これは朱に塗り忘れたわけではなくて(笑)薩摩藩の接待に使われたため、日本風に作られたのだそうです。
守礼門のすぐ横にある、園比屋武御嶽石門(そのひゃん・うたき・いしもん)。門の向こうは聖なる森(御嶽)であり、国王が外出する際は、ここで安全祈願をしたそうです。
実は世界遺産に登録されているのは、首里城跡であり、復元された正殿や門などは含まれていません。ただ、この園比屋武御嶽石門は崩れた残石をもとに復元されているため、世界遺産として認められているのだそうです。
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コメント
わ〜懐かしい
門の所や所々に、当時の扮装をした人がいましたが〜
偶然ですが、昨日丁度、島ラッキョウをイワシの削り節(成城石井で買った)をかけて食べました。
美味しいですね!
投稿: Rei | 2011年4月14日 (木) 21時07分
正殿へたどり着くまでに多くの階段を登り
そして門を潜り、やっとたどり着き目の前に
現れたのが赤く染まった立派な正殿。
疲れも吹き飛ぶ鮮やかさですね。
楽しい旅ですね。
投稿: イザワ | 2011年4月15日 (金) 03時00分
☆ Reiさま ☆
沖縄といえば、首里城は是非訪れたい場所ですね。
日本のお城とは全然違うので、ここは琉球王国という
別の国だったのだな…ということを改めて実感しました。
初めて知ることも多く、興味深かったです。
王朝時代の衣装を着ているスタッフの方が
そこここにいらっしゃいましたね。
シャイな私は声がかけられず、写真を撮りそびれてしまいました。
島らっきょうは、この辺りでも最近見るようになりましたね。
私は市場で買って帰りましたが、家では
沖縄の肉味噌につけていただきました。
投稿: ☆ Reiさま ☆ | 2011年4月15日 (金) 10時43分
☆ イザワさま ☆
正殿に向かうまでに、いくつもの門をくぐりますが
それぞれに個性があって、おもしろかったです。
高いところから城壁を見ると、規模はぐっと小さいですが
どこか万里の長城にも似ているように思われて…
やはりここは、琉球王国という日本とは別の国だったのだな
ということを改めて実感しました。
中国風の色鮮やかな正殿と、木の素地をそのまま生かした和風の南殿
二つの文化が融合されているところに、
貿易国、琉球王国の特徴が表れているように感じました。
投稿: ☆ イザワさま ☆ | 2011年4月15日 (金) 10時54分