« 渋谷 「Cafe Mame-Hico」 の豆カレー | トップページ | 中目黒 「BISTRO KHAMSA」 のモロッコ風料理 »

秋尾沙戸子 「ワシントンハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-」

新聞の書評で知り、秋尾沙戸子さんの「ワシントンハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-」を読みました。

  Washington_heights_2

原宿の明治神宮に隣接する、今は代々木公園となっている広い敷地に、かつてワシントンハイツとよばれる米軍とその家族のための住宅地がありました。戦後まもなくGHQに接収されたこの土地に、800戸もの家族住宅が建てられたのです。

私がワシントンハイツの存在を初めて知ったのは、山崎豊子さんの小説、「二つの祖国」がきっかけでした。太平洋戦争時の日系二世たちの苦悩を描いたこの作品で、主人公の賢治が戦後、東京裁判の通訳のモニターを務めることになり、家族とともに暮らしたのが、このワシントンハイツでした。

ワシントンハイツは東京オリンピック開催前に返還され、今は当時の面影がありませんが、それがどのようなものであったか、周囲に住む日本人たちがどう見ていたか、私にはなんとなく想像できます。というのも、私が大人になる頃まで、横浜の本牧にも広大な米軍居住地があり、金網の中のアメリカを身近に見ていたからです。

著者の秋尾沙戸子さんは、米・ジョージタウン大学で研究員をされていた頃、仲間から「日本では(民主化?アメリカ化?が)うまくいったのに、なぜイラクでは失敗したか。」と問いかけられたことが、このテーマを追うきっかけとなったそうです。

青山にあるスーパーの紀ノ国屋、表参道にオフィスを構えるハナエ・モリ、当時今のNHKの近くにあったというクリーニングの白洋舎、原宿にあるおもちゃ屋さんのキディランド、などなど…。

どれもワシントンハイツとの関わりの中で、アメリカ式の技術やノウハウを身につけることによって成長していった、というエピソードは、地理を思い浮かべるとなるほど!と納得できて、おもしろかったです。

焼け野原となった東京が、アメリカから何を吸収し、どのように発展を遂げていったか…。市民の視点から見た占領期の東京の変遷がていねい描かれていて、その風景を想像しながら、興味深く読み進めることができました。巻末にリストアップされた膨大な資料に、著者の粘り強い取材の足跡を見る思いがしました。

|

« 渋谷 「Cafe Mame-Hico」 の豆カレー | トップページ | 中目黒 「BISTRO KHAMSA」 のモロッコ風料理 »

」カテゴリの記事

コメント

こちらでも今晩は。

あ~、この本面白そうですね。

そうか代々木公園は米軍居住地跡の敷地だったのですね。私、はじめて知りました。

実は私、戦後のGHQ占領下の東京の風景が大好きで、けっこう写真集も持ってました。闇市とか、焼け野原となった東京でがんばって生きていく人々の姿がとても心をうつんですよね。

背景に「赤いりんご」とか「東京の花売り娘」とかの流行歌が流れようもんなら、それだけで涙、涙。何でだか自分でもわかんないんですけどね。

この本、当時の東京の姿を知るとても良い資料みたいですね。是非、読んでみたい1冊です。

投稿: ごみつ | 2011年10月21日 (金) 02時29分

私は立川米軍基地の隣町で幼少期を過ごし、しかも米軍払下げ住宅に住んでいたので実情はよくわかります。この本は読んでいませんが、なかなか興味深そうです。新橋の米兵慰安所のことは書かれているのでしょうかね。あれこそ、まさに従軍慰安婦そのものなんですけどね。
とはいえ、アメリカ式の家屋は懐かしくも、異世界でした。トイレとバスが並び、巨大な冷蔵庫が据え付けられ、キッチンとリビングがカウンター式につながっている家は、幼き時の思い出として今もしっかり覚えています。

投稿: ヌマンタ | 2011年10月21日 (金) 22時46分

☆ ごみつさま ☆
こんばんは。こちらにもコメントを、ありがとうございます。

代々木公園は、今は全く面影がありませんから
あそこに広大な米軍の住宅地があったなんて
ちょっと想像しにくいですね。

この本、ワシントンハイツに限らず、都心の戦後の様子が
描かれているので、きっとごみつさんも興味をもたれるのでは
ないか、と思います。

私の場合は、子どもの頃に見た米軍の居住地の印象があまりに
鮮烈だったせいで、GHQの接収とか、やたらと興味があるんです。
豊子さんの小説の影響もありますが…。
私も接収地図や当時の写真が載った本、持ってますよ。(笑)
今の東京の何がどこにあってどんな風景だったか、
想像すると楽しいですね。

投稿: ☆ ごみつさま ☆ | 2011年10月22日 (土) 01時44分

☆ ヌマンタさま ☆
ヌマンタさんが軍のそばに住んでいらしたことは
ブログで存じていましたが、立川でしたか。
しかも軍の住宅に住んでいらっしゃたのですね!

慰安所は都内に何ヶ所かあったそうで、結構詳しく調べられていました。
これも戦争がもたらすひとつの悲劇ですね…。

子どもの頃に見た金網の中のアメリカは、別世界でした。
当時の私は憧れというより、
畏れに近い気持ちを抱いていたように思います。

投稿: ☆ ヌマンタさま ☆ | 2011年10月22日 (土) 02時13分

こんばんは。
代々木公園って、そういった過去があったんですね。
私は、横田基地は何度か足を運んだことがありますが、
金網の中はアメリカで、敷地内に店など小さな町が
一つあるようでした。

代々木にも跡地的になにか象徴となるものが残っていたら
きっと、多くの方もその存在を知り、過去を振り返る機会にも
なるのではないか、と感じました・・・

投稿: イザワ | 2011年10月22日 (土) 02時52分

☆ イザワさま ☆
おはようございます♪
代々木公園は、みごとなまでに当時の痕跡はないですね。
オリンピック開催の時に、敗戦国の影を払拭しよう、とか
ひょっとしたら何か意図があったのかもしれませんが…。

当時のことを思い浮かべながら
代々木公園をゆっくり散策してみたくなりました。

投稿: ☆ イザワさま ☆ | 2011年10月22日 (土) 08時03分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 秋尾沙戸子 「ワシントンハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-」:

« 渋谷 「Cafe Mame-Hico」 の豆カレー | トップページ | 中目黒 「BISTRO KHAMSA」 のモロッコ風料理 »