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2016年11月

紅葉の京都(1) 南禅寺

先週、学校の休みにあわせて家族と2人で京都に紅葉を見に行ってきました。最初は日帰りで行くつもりでしたが、せっかくだからゆっくりしてくれば?とのことばに急遽泊まってくることになりました。

ところが出発の日は、予報通りに朝からみぞれ混じりの雨。のちに雪に変わったと知りましたが、11月に東京に雪が積もったのは54年ぶりだとか。@@ 交通状況が心配でしたが、雪でも定刻通りに出発する新幹線に、日本の底力を実感しました。

途中、雪が積もっているところもありましたが、西へ行くほどお天気がよくなり、約2時間後に京都に着いた時には晴れ間が広がっていました。地下鉄を乗り継いで、まずは南禅寺に向かいました。
 臨済宗大本山 南禅寺 公式HP

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大型バスが次々停まり、観光客で賑わっていましたが、境内が広々としているので、落ち着いて散策できました。写真は歌舞伎で石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな~」のセリフで知られる三門。上層に上ることもできます。太い柱を額縁にして、向うに見える紅葉も美しい。

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三門をくぐって、後ろをふり返ったところ。

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あいにく前日、前々日の強風で、葉っぱがだいぶ散ってしまったらしいですが、それでもまだまだ美しい紅葉を堪能することができました。

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晩秋のこの時期は、散り紅葉も風情があります。手前は紅葉、向うはすっかり散ってしまった銀杏。赤と黄色の2色に染め分けられた落ち葉のじゅうたんがすてきでした。

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境内を通る、琵琶湖疎水の水路閣。赤レンガでできた明治の近代建築ですが、不思議と禅寺の空間にマッチしています。上には今も水路が流れ、さわやかな水音が心地よい。

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このあと、狩野派の障壁画(復元)や、みごとな庭園を見ることができる方丈の中へ。方丈庭園は江戸時代初期の代表的な枯山水庭園で、「虎の子渡しの庭」ともよばれています。目の前に広がる白砂は池ではなく、川を模しているのが、ほうき目から伝わってきます。

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こちら方丈の奥にある「六道庭」は緑の苔が美しい。岩と白砂の「妙心庭」もあり、対になっていました。

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お茶室の向うに真っ赤な紅葉。

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再び三門を背景に。

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ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

「ハリー・ポッター」シリーズから派生した、J・K・ローリング原作の新シリーズ第1作「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」(Fantastic Beasts and Where to Find Them)を見ました。

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魔法動物の調査と保護のために世界を旅する魔法動物学者のニュート(エディ・レッドメイン)はニューヨークを訪れます。ところがひょんなことからニュートのトランクが人間のジェイコブ(ダン・フォグラー)のトランクと取り違えられ、トランクに詰め込まれた魔法動物たちが逃げ出してしまいます...。

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ファンタジーはどちらかというと苦手ですが、エディ目当てに見に行ってきました。「ハリー・ポッター」シリーズはあまり見ていないので、人名や独特の用語が聞き慣れなくて、関係性がよくわからないところもありましたが^^; まあまあ楽しめました。

魔法動物をこよなく愛する心優しい動物学者のニュートは、エディにぴったりの役どころ。ちなみにニュートはホグワーツ魔法学校出身で、魔法学校の教科書「幻の動物とその生息地」の編纂者でもあるらしい。

舞台は1920年代のニューヨークで、「ハリー・ポッター」シリーズの70年前という設定になっています。入国審査をすませたニュートが活気あふれるマンハッタンを歩いていると、街中ではデモをやっていて...どうやらここでは魔法使いと人間の関係があまりよくないらしい。

ニュートとトランクを取り違えた縁で親しくなったジェイコブ、米魔法議会で働いているティナ(キャサリン・ウォーターストン)、その妹クイニ―(アリソン・スドル)が、トランクから逃げ出した魔法動物たちを捕獲するために奮闘する...というのがメインストーリーです。

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ヒロインのティナがちょっとおとなしめで華がないかな?と思いましたが、はにかみ屋のニュートには似合っていたでしょうか。表情豊かでコミカルなジェイコブが、狂言回し的な役割を担っていて、いい味を出していました。クイニ―とは”美女と野獣”といった感じですが、なかなかすてきなカップルです。

クイニ―を演じるアリソン・スドルは、これが映画初出演ということですが、本来はファイン・フレンジーという名まえで活躍しているシンガーソングライターだとか。映画で見ると正統派の美人ですが、ミュージシャンの時の彼女も独特の雰囲気があってとっても好み。これからの活躍が楽しみです。

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ジャック・リーチャー NEVER GO BACK

トム・クルーズ主演のサスペンスアクション、「ジャック・リーチャー NEVER GO BACK」(Jack Reacher: Never Go Back)を見ました。リー・チャイルドの人気小説「ジャック・リーチャー」シリーズより映画化。映画では「アウトロー」に続く第2作です。

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ジャック・リーチャー(トム・クルーズ)は、彼がかつて所属していた陸軍本部のターナー少佐(コビー・スマルダーズ)と協力し、人身売買に関わる事件を解決します。しかし後日、リーチャーが軍本部にターナーを訪ねるとそこに彼女の姿はなく、スパイ容疑で逮捕されたことを知ります。

ターナーが何らかの陰謀に巻き込まれたに違いないとにらんだリーチャーは、刑務所から彼女を救い出していっしょに逃亡し、真相を明らかにするために奔走しますが...。

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トムが組織にしばられない孤高のヒーローを演じる、「ジャック・リーチャー」シリーズの第2作。前作の”自分の腕と頭脳だけで勝負する硬派なヒーロー”というコンセプトは気に入ったもの、今の時代にはちょっぴり渋すぎるかも...と存続を心配していたので、続編ができてほっとしました。^^

前作に比べると、ハードボイルド色はだいぶ抑えられていて、リーチャーのキャラクターがマイルドになったような気がします。それだけに他のアクション映画との差異はあまり際立たず、新鮮さはなくなってしまった気がしますが、王道を行くエンターテイメントとして、私はとっても楽しめました。

なんといってもヒロインのターナーを演じるコビー・スマルダーズが、かっこいい! 知的で清潔感のある美女で、身体能力も抜群。特にラストの軍服姿の凛々しさにしびれました。リーチャーとは互いに全幅の信頼をおいているバディといった関係で、恋愛がからまないのも好印象。

そして今回は、リーチャーに娘がいたことが発覚? 最初は人生に投げやりになっているように見えた彼女ですが、リーチャーやターナーと行動を共にしていくうちに、だんだん魅力的でかわいい女の子になっていきます。彼女の成長物語にもなっていて、さわやかなエンディングに好感がもてました。

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”ジャック・リーチャー”はどちらかというと昔ながらの泥くさいヒーローをイメージしていると思いきや、トムが演じると、女性を尊重し、そして優しい、今の時代にふさわしい新しいヒーローに見えてきます。

そして、電話やコンピュータ、クレジットカードといった現代の便利なツールから居場所を特定されてしまう展開を見ると、アナログであることが実は逆手をとって、最強の武器といえるかも...とふと感じました。

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ゴッホとゴーギャン展 @東京都美術館

上野の東京都美術館で開催している「ゴッホとゴーギャン展」(~12月18日まで)を見に行きました。ゴッホとゴーギャン、2人の関係にフォーカスした企画展で、関連画家の作品をふくめ計68点が展示されています。

ゴッホとゴーギャン展 特設WEBサイト
Van Gogh and Gauguin: Reality and Imagination

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オランダからフランスに移り住み、情熱的なタッチで迫力ある写実画を描いたゴッホ。一方、世界を旅して原始社会に理想を見出し、想像力豊かな作品を残したゴーギャン。同じ時代を生きた2人の画家は1988年、南仏アルルにあるゴッホの”黄色い家”で共同生活をはじめました。

お互いに刺激を与え合いながらも、芸術観と性格の違いから時に激しく衝突し、わずか9週間で2人の生活は破綻しましたが、手紙でのやりとりはゴッホが亡くなるまで続いたそうです。

本展では2人の軌跡をたどりつつ、作品を通じて2人の違いや関係を見ることができました。ゴッホが描く陽光あふれる南仏の風景と、ゴーギャンが描くイマジネーションの世界を堪能しました。

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ゴッホ 「自画像」 (1877)

ゴッホが生まれ育ったオランダ時代の作品はどれも暗い色調でしたが、パリに移り住んでからは花が開いたように明るく洗練された作風になりました。またこの時初めて鏡を手に入れたそうで、パリでの2年間で30点近くの自画像を残しています。よく自画像を描いたのはモデルを雇うお金がなかったためでもありました。

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ゴーギャン 「自画像」 (1885)
こちらはゴーギャンが、コペンハーゲンの妻の実家で描いた自画像。この頃、株式仲買人の仕事を辞め、画家になる決意を固めました。

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ゴッホ 「収穫」 (1888)

南仏アルルに移り住んだゴッホが、初めて迎えた小麦の収穫風景を描いた作品。そういえば麦秋は夏の季語だと思い出しました。さんさんと輝く陽光の下、明るい色彩がパッチワークのように連なる田園風景が美しい。弟テオへの手紙にも自身の”最高傑作”と書き送った自信作です。

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ゴーギャン 「ブドウの収穫、人間の悲惨」 (1988)

一方こちらは、ゴーギャンがゴッホとの共同生活中に描いた作品。アルルのぶどうの収穫風景に、なぜかブルターニュの農婦(左)と、ペルーのミイラのポーズをとった悲嘆にくれる女性(手前)がいっしょに描かれています。ゴッホはゴーギャンの想像力を称賛し、大いに刺激を受けたそうです。

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ゴッホ 「ゴーギャンの椅子」 (1888)
ゴッホがアルルでの共同生活中に描いたゴーギャンの椅子。椅子の上に置かれたろうそくと本は、ゴーギャンの豊かな想像力を象徴しているようです。

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ゴーギャン 「肘掛け椅子のひまわり」 (1901)
一方こちらはゴッホの死の11年後、ゴーギャンがタヒチで描いた椅子です。ひまわりはゴッホが好んで描いたモチーフですが、ゴーギャンはフランスからわざわざひまわりの種を取り寄せて育て、この作品を仕上げました。

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ゴッホ 「タマネギの皿のある静物」 (1898)
耳切り事件で入院したゴッホが、退院後すぐに描いた作品。一見無造作に置かれた身の回り品ですが、ひとつひとつに意味がこめられているような気がします。

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ゴーギャン 「タヒチの3人」 (1899)
文明化されていない世界を求め、ゴーギャンはタヒチに移り住みましたが、ここにも西洋化の波は訪れていました。この作品は聖書からの隠喩で、左の女性のりんごは「悪」、右の女性の花は「善」を表現しているようです。

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インフェルノ

「ダ・ヴィンチ・コード」「天使と悪魔」に続く、ダン・ブラウン原作のラングドン教授シリーズ第3作、「インフェルノ」(Inferno)を見ました。
 インフェルノ 公式サイト

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ラングドン教授(トム・ハンクス)が目を覚ますと、そこはフィレンツェの病院。彼は何者かに頭部を襲撃され、数日間の記憶を失っていました。そこに突然殺し屋がやってきて、ラングドンの病室に近づきます。担当医のシエナ(フェリシティ・ジョーンズ)は、とっさの判断でラングドンを連れ出し、いっしょに病院から逃亡しますが...。

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記憶喪失のラングドン教授をどこまでも追う、警官姿の非情な女殺し屋がかっこいい。スリリングなオープニングにちょっぴりターミネーター2を思い出しながら、一気に物語の世界に引き込まれました。

ラングドンのポケットには見覚えのない小型のプロジェクターが入っていて、映し出されるダンテの神曲をモチーフにした「地獄篇」には、狂気の生物学者ゾブリスト(ベン・フォスター)による、人類の半数をウィルスで滅ぼそうとする計画の暗号が隠されていました...。

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これまでの2作と同じく、長編小説を2時間の映画にぎゅっと縮めているので、少々あわただしいのは承知の上、ハリウッド映画ならではの迫力ある映像表現や、スピーディな展開を楽しみました。

ラングドンがヒロインとともに、美しいヨーロッパの古都を縦横無尽に駆け巡るのもこのシリーズの魅力。今回はフィレンツェを中心に、ベネツィア、イスタンブールと舞台が移り、ラングドンとともにスリリングな旅の気分を満喫しました。

隠し扉に隠し部屋、街中も迷路のようにつながっていて、お話はフィクションではあるけれど、史実や事実もさりげなく織り込まれてて、見ている方もイマジネーションの迷宮の中で、ころころと転がされている気分になります。

あっと驚く展開もありましたが、ラストの方は原作から少し変えて、原作を読んでいても読んでいなくても楽しめるように?作られていたようです。映画ではじっくり考える暇なくお話が進んでしまうので、あとからゆっくり読んで反芻したいと思います。

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奇蹟がくれた数式

インドの天才数学者ラマヌジャンと、彼を見出したイギリス人数学者G・H・ハーディの友情を描いた、実話に基づく伝記ドラマ、「奇蹟がくれた数式」(The Man Who Knew Infinity)を見ました。

 奇蹟がくれた数式 公式サイト

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1914年。インドで独学で数学を研究していたラマヌジャン(デヴ・パテル)は、周囲の勧めでイギリスの数学者たちに手紙を書き送ります。誰も気に留めない中、ただひとりケンブリッジ大学の数学者ハーディ(ジェレミー・アイアンズ)は、そこに書かれていた数々の予想に驚愕し、まもなくラマヌジャンを招聘します。

胸躍らせてイギリスに渡り、ニュートンも学んだトリニティ・カレッジの門をくぐったラマヌジャン。しかし正規の大学教育を受けていないインドから来た若者を、他の教授たちは受け入れようとせず、また第1次世界大戦もはじまって、ラマヌジャンは心労と栄養不足から病に倒れてしまいます...。

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以前、数学者 藤原正彦さんの「遥かなるケンブリッジ」を読んで、今なお階級社会の残るイギリスの象牙の塔で、研究生活を送ることのたいへんさを多少なりとも理解しましたが、ラマヌジャンがイギリスに渡ったのは今から100年前。

伝統と格式を重んじるケンブリッジでの研究生活はもちろん、日常生活も今とはくらべものにならないくらいに不自由で厳しいものだったろうことは想像に難くありません。そういえば、夏目漱石がイギリス留学したのもちょうどこの頃だったでしょうか。

映画を見て、ケンブリッジに当時ラマヌジャン以外にもインドの研究者がいたことを知って驚きましたが、周りに家族や同じ境遇の仲間たちがいて励まし合うことができたら、ラマヌジャンのイギリス生活はずいぶん違ったものになっただろうな...と想像しました。

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数学は文化の違いの影響をそれほど受けないユニバーサルな学問ですが、ラマヌジャンとハーディ教授とではアプローチの方法がまるで違いました。ラマヌジャンにとって真理とはただそこに存在するもの。彼は直観によって得た自らの発見を、そのまま発表することしか頭になかったのです。

ハーディ教授は、発見はそのままでは”思いつき”でしかないとして、証明によって論理的に裏付けることの必要性を説きますが、ラマヌジャンにとって真理とは神から与えられた揺るぎないもので、証明することは時間の無駄としか思えません。

たしかに映画に登場した素数や分割数に関する公式を、証明によって導くことは、気が遠くなるほどの膨大な計算をしなければならなかったはずで、まだコンピュータが存在しなかった当時では、相当な忍耐が必要だったことでしょう。

結局、ラマヌジャンの数々の発見を、ハーディが代わって証明していくことで、ようやくラマヌジャンの業績が認められるようになるのです。

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ハーディがラマヌジャンに証明を強いなかったのは、そうすることで彼の独創性が失われることを、何より恐れたからだといいます。

”もし彼がもっと若い頃に発見され、馴らされていたら、おそらくもっと偉大な数学者になって、新しい発見やより重要な発見をしただろう。一方、彼はそれほど「ラマヌジャン的」でなくなり、ヨーロッパの教授風になって、得るものより失うもののほうが大きかったかもしれない。”(Wikipediaより)

ハーディのこのことばこそが、ラマルジャンへの最高の賛辞である、と心打たれました。

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ダリ展 @国立新美術館

六本木の国立新美術館で開催されている「ダリ展」(~12月12日まで)を見に行きました。世界の3大ダリ・コレクションから招来した作品を中心に、約250点が展示されています。

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日本では10年ぶりの回顧展とのことですが、私自身は8年前にニューヨークでダリ展を見ています。この時も盛況でしたが、今回改めてダリ人気を再確認しました。
 Dali: Painting & Film @ニューヨーク近代美術館

ダリはグロテスクな作品もありますし、私にとっては決して心地いいわけではないのですが、なんとなく気になる存在といいましょうか...。作品の中に潜むメッセージを見つめているうちに、深層心理を刺激され、いつの間にか自分自身に向き合っているような不思議な感覚を覚えます。

先日、ロンドンのファッション・デザイナー ヴィヴィアン・ウェストウッドの最新コレクションでモデルの体を這う蟻のタトゥーを見て、すぐにダリを思い出しましたが、こういうわかりやすいシンボルも魅力のひとつかもしれません。

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キュビズム風の自画像 (1923)
シュルレアリスムの代表的画家と知られるダリですが、初期の頃はポスト印象派にはじまり、キュビスム、ピュリスム、未来派...と新しい芸術に果敢に取り組んでいました。一見ピカソ風?のこの自画像も新鮮です。

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ルイス・ブニュエルの肖像 (1924)
マドリードの王立美術学校時代の友人で、のちに映画監督となるルイス・ブリュエルの肖像画です。ダリとブリュエルは、「アンダルシアの犬」、「黄金時代」と続けて映画を共同制作し、大反響をよびました。本展でも上映されています。

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降りてくる夜の影 (1931)
荒涼とした異星の風景のように見えますが、実際にはダリが妻ガラと住んだスペインの漁村を描いているそうです。晴れた青空と深い闇、昼と夜が共存しているような風景は寂寥感にあふれ、わけもなく不安をかきたてられます。

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謎めいた要素のある風景 (1934)
中央で背を向けてキャンバスに向かっているのは、ダリが敬愛していたフェルメール。その右奥に小さく描かれているのは少年時代のダリだそうです。時空を超えた夢の中の風景のようにも感じられます。

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アン・ウッドワードの肖像 (1953)

第二次世界大戦がはじまると、ダリとガラはアメリカに亡命し、1948年まで暮らしました。これはアメリカの女優、アン・ウッドワードに依頼されて描いた肖像画。岩のくり抜きが女性の輪郭と同じで、海の水平線がドレスのベルトとつながっているのがおもしろい。

すでに何度も展覧会を開き、成功を収めていたダリは、アメリカ在住中に映画や舞台芸術、ファッションや宝飾の仕事も手掛け、活躍の場を広げました。本展ではダリが関わったヒッチコックの「白い恐怖」、ディズニーの「デスティーノ」も上映されています。

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ラファエロの聖母の最高速度 (1954)

広島・長崎への原爆投下に衝撃を受けたダリは、原子物理学と宗教的主題を融合した作品を数多く制作するようになります。そして晩年は、ガラとともに故郷スペインの小さな漁村に移り住み、古典芸術へと回帰し、自らの集大成ともいうべき大作を手掛けました。

その姿容貌からエキセントリックなイメージのあるダリですが、愛妻家であり、商業的なセンスもあり、創造力豊かな芸術家である一方、現実を客観的に見つめることのできるリアリストでもあったのではないかな?と想像しました。

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